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わたくしたちが、生きているということ自体、神と共にあるということです。
永遠の生命の息吹が 息づいている、ということです。
ですから、どんな境遇にあっても、生きているということは、
今現在そして永遠に、神とともに在るということです。


こう書くと、人間と神が別の存在と思われるかもわかりませんが、
神と人間とは一体なのです。

あなたは、孤独ではありません。

そして、あなたが無くなるということもありません。
完全な全ての ほんの一部たりとも無くなるということはないのです。
あなたは、神の経綸(宇宙の理想発展への営み)の一部であり、何物もあなたに替わり得る存在はありません。

色々悩みがあっても、愛を心に抱き、『私は、生命(いのち)である。』『私は、愛である』と宣言し
強く生きていきましょう。

あなたは私の一部、私はあなたの一部なのですから。



”心身の神癒”  第一話から抜粋


1-12 あなたたちはすでにこの真理を目のあたりに見ている(*1)。人は皆天使となる過程の中にあるのであって、あなたたちは本来生まれ乍らの天使なのである。天使の誕生はあなたたちの中に在るのである。これが神の愛である。現在天使の内若干は嘗て何れかの惑星上に生を得たことのある人々である。

1-13 全宇宙が神の愛の御性質を現している完全なる渾一体である。愛は結合させる聖なる特質であり、一切を支えうる唯一の力であり、その上、みずからの完全さを成就しつつある。

1-14 愛ある処誤謬(あやまち)は決してない、愛はそれ自身完全であるからである。

1-15 生命より向けられた純粋なる想念の流れに干渉しうるものは何ひとつとして存在しない。なぜなら距離というものは真実無いからである。唯一つ必要なのは〔心が〕受け容れる状態になることである。

1-16 絶えることなく久遠に注がれつつあるこの驚くべき父なる神のみ賜物を受けることが今できるのである。自分自身をそれに開くことによってそれを身に受けることができるのである。〔と云っても〕外から受けるのではない、それはあなたの本質の中心そのものより顕現しようとしきりに待ち望んでいるということを知りさえすればよいのである。

1-17 あなたたちはそれを自覚するようにならなければならない。自覚した時、身体の全細胞、環境、知人、商いの場所、家庭の中にそれを実感するであろう。即ち一切が愛によって満たされうるのである。しかもこの愛に逆らいうるものは何ひとつない。愛は断絶なきをその性質とするが故に宇宙に存する質量の微細に至るまでことごとく浸透し、全宇宙を支え、息と命とを与える。『わたしは生命であり愛である』〔ヨハネ伝十一章二十五節〕。

1-18 とりわけて何処と方向を決めていなくてさえ、一旦放射した愛と癒しの理念は、すべてをその流れの中で捕捉し、すべてのものへの助けとなる。この愛の籠(こ)められた想念の世界では、失われるものは一つもないことを銘記するがよい。

1-19 空間というのは誤った考えである。それは分離(別々)という考え方に属する。実在においては分離(別々)というのはないのである。

1-20 神が遍在し給うものであることをよく把握して、胸(ハート)と心とを平静ならしめるがよい。〔そうすれば〕幼児さえもが空間或いは距離なるものが本来無いことを知るようになるであろう。人は皆神の中に住み、神の外には何ものも絶対にないからである。

1-21 わたし自身の体験を通してわたしは、神の御本質が愛なることを自覚することによって肉の身は変化するものであることを知った。愛はあらゆるものを創造り出し、又あらゆるものを引きつける力である。

1-22 世とその中にある一切を創造り給い、天と地との主であり給う神は、手もて造られた神殿などには住み給わず、人の手によって仕えられ給わず、又、何ものにも欠乏し給うことはない。なぜならばすべての人々に生命と息とを与え給うたのは神御自身であるからである。

1-23 又、神は地の表に住まわせるがために、一つの血よりすべての国民を創造り給うた。その故に、彼らは神の愛とその被造物とを通して神を求め、神を見出すべきである。

1-24 どんな人であっても神はその人から遠くに離れて存ますのではない。神の中に一切のものは生き、動き、かつ存在を保っているからである。あなたたちの賢者の中のある者が云ったように、『すべては神の血縁者である』。然り、わたしを見たものは父なる神を見たのである。

1-25 これらの言葉を完全に了解すれば、そこには何らの神秘もない。了解されてしまえば神秘は消えるのである。

1-26 一粒の質料といえども神を宿さぬものはありえない。全宇宙にある一切の粒子に神が宿されているのでなければならない。なぜならば神のみがましまして御自らを顕現し給いつつあるからである。こうしてわたしと父なる神とは一体であり、その間には何らの分離もないのである。

1-27 この故に、人は神の家族なるが故に、人間智慧と技能とを以て金、銀或いは石もて神に似たものとして造り刻んだものを、拝しなければならぬことはないのである。

1-28 神の遍在、全能、全智なる真理は完全無欠であることを悟がよい。およそあらゆる生きものの中にあって生きているのは〔実は〕神であり、神のみが生きているのであることを知るがよい。なぜならば神はその全てを創造り給い、それらより離れて生きてましますことは不可能であるからである。それは神が偏在し給うからである。

1-29 もしも神の創造り給いしものが何らかの点において神から離れているのであれば、神はその本性において無限であることはできない、神御自身が完全であることはできない。すべての被造物は、すべての働きを調和させ、神の神性を顕現せしめる愛という基本原理によって創造られたのである。人がこの真理に気付いた時、その時こそ彼の身内にはかの完全なる神性が反映し、やがてそれは人間としての地上天国をもたらすであろう。

1-30 然るに人々は死せる者の蘇りを聞くやこれを嘲笑った。しかし生命体である宇宙にどうして死せるものがありえようか。久遠に生きてい給う神の中にどうして死せるものがありえようか。なるほど到る処で変化がおきてはいる、しかしその変化の中には死せるものは何ひとつないのである。悉(ことごと)くの粒子が一つの形態より他の形態へと変幻する生ける粒子なのである。

智慧なき者の見るのは死であり、啓明された者の見るのは大生命の働きである。智慧なき者は一つの状態より他の状態への遷り変わりの法則を解しない。その故にこそ人は自ら死と称する迷妄を自らの心の中に造りだしてしまうのである。

1-31 全宇宙の中一粒子たりとも死んでいるものはいない。一切の粒子は神の中に在って生きているのである。あらゆる粒子が移り変わりつつあっても、それさえも大生命の生きた表現なのである。これらすべての〔現象の〕下にある基本原理が、中心なる愛の泉より細微の被造物に至るまで流れてやまぬ愛の力なのである。

1-32 あなたたちの感官に支配された心は真理像(ビジョン)、すなわち本来神性なるものは又完全無欠であるとの真理像を、これまで兎角曇らし或いは蔽うてきたものである。

33 しかし今やあなたたちは至高者(いとたかきもの)の秘所にあり、至高者はあなたたちの目よりすべての涙を拭い去り給うであろう。その故に、もはや死はなく、何らの苦しみもないであろう、これらのものは過ぎ逝くからである。

1-34 『わたしはアルファにしてオメガ(*2)、始めにして終わりである。わたしは渇く者に生ける水の泉を惜しみなく与える。わたし自らが始めにして終わりである。わたしはもろもろの予言者が語った者であり、あなたたち一人々々の中に在る神我(キリスト)である。わたしたちの間には何ら分離はないのである。しかるにあなたたちはわたしをあなたたちの届かない遙か彼方に祭り上げてしまった。

1-35 あなたたちは心の中でわたしを及ぶべからざるものと考えてきた。しかし、わたしはあなたたちの胸(ハート)の密室の中に生きており、そのわたしに気付くよう絶えず促してきているのである。

1-36 これこそが人間家族の中に宿された神我(キリスト)、すべての嬰児(みどりご)の中に宿された神我である。それが久遠にして、いわゆる「死」の後も生きている神我である。それが久遠に生きるあなたたちの裡なる神我である。

1-37 もろもろの河が流れては大地に生気を与えるようにも、あなたたちはかの永遠の生命の流れを外部へと放流することができるのである。見えざる霊的質料のみが本質であり、かつ又あなたたちのめいめいの今の生活の中において現し得る唯一の実在である。

1-38 あなたたちの意識はその反映である。物質界すなわち形而下の世界におけるあなたたちの意識は、御自身を表現しつつあるこの久遠生命の反映である。この生命を自覚すればする程それはあなたたちにとってより一層現実的なものとなってくる。

1-39 かくて頭脳、神経系統及び肉体がそれで満たされる。それは心の波動を地上に於ける生存を超えた域にまで高める。然り、やがてそれは体(*3)を変質して完全なる器とならしめるのである。本来「聖なるも
の」こそが唯一の実在であるからである。

1-40 あらゆる機会を利用してあなたたちの知るところのものを現すがよい。あなたたちの愛を注ぎ、すべての兄弟姉妹を祝福せよ、そうすれば、人の胸(ハート)と生命との中に湧き上がる愛の洋(わだつみ)の濤(おおなみ)によってすべての距たりが洗い流されるであろう。

このような愛をもって一人の兄弟一人の姉妹を祝福するならば、あなたたちの実存の中へ、そして又実存の中より外へ、神我(キリスト)の生命と愛とが流れるであろう。

1-41 新約聖書に録(しる)されている数々の真理を仮初(かりそ)めにも軽んじてはならぬ。もしあなたたちが真実なるものを現せば、あなたたちは真実なるものとなる。あなたたちの本性は神性なのである。

この本性を今の今、自分のものとせよ、何故ならば今こそが久遠であり、生命の一瞬々々が今であるからである。故に過去を思わず未来を憂(うれ)うるな。未来は、今を生きることによって自ずから現成(な)るのである。

1-42 一切の空間に充ち満ち、過去、未来を知らず、久遠の現在にして、昨日も今日もそして永久に変わらぬ『遍在者』を、あなたたちは把握するようにならなければならない。

1-43 一切の時間が現在であることを知り始めた時、いわゆる切願はしなくなる。アレコレの物事が実現するようにとの切願はしなくなるから、大きな緊張があなたたちから消える。〔現に〕今日というこの日でもあなたたちの中どんなに多くのものが心を張りつめていることか。それは、ましまさぬところなき『遍在者』の中に住まわぬからである。

あなたたちは過去と未来との中に住んで、今の今神の生命が栄光に輝いて示現(あらわ)れてい給うのを逸しているのである。

1-44 平安があなたたちの魂の中に来り、かつては悩みのもとであったものも、もはやあなたたちを困惑させることはないであろう。わたしのものはすべてこれあなたたちのものでもあることを知るようになるが故に、あなたたちはもろもろの世事に苦しめられることはないであろう。

1-45 霊は一切の力であり、一切を支配する。しかしただ外から窺(うかが)い見るだけであれば、目前に繰り拡げられた饗宴に些(いささ)かなりとも与(あずか)る可能性はない。しかしまた、進んでその中に入れば、今の今宴(うたげ)に与(あずか)るのである。実に『今』の他に時はない。

1-46 このことを了解(りょうげ)した時、あなたたちの熱き魂この魂は〔いずれは消滅する〕あなたたち〔の身体〕に与えられた時間内に極めて多くのことを成就してしまわなければならぬことを感じているその魂は愛と奉仕とが悦楽であり、心安らぐものであることを知るようになる。

1-47 以上の〔わたしの〕話しは始めのうちはあなたたちにとっては奇妙にも思われるであろうがそれはあなたたちがまだよく理解していないからである。主の中に安らぐことは常に主とともにあることである。主は全能者の究竟(くきょう)の表現(あらわれ)なるが故に、その事が解れば恐れはなく、疑いもなく、人生はただ愉悦(よろこび)となるのである。

1-48 俗世のさまざまの心労を背負った時のみ悲哀(かなしみ)はあるのである。胸(ハート)を上に挙げ、あなたたちの父なる神はあなたたちの必要とするものを知り給い、一切のものをあなたたちの後に備えてい給う事実〔を知りその事実〕の中に在って歓ぶがよい。食卓の用意はすでにできているのである。

その積りになれば、今饗宴に来り、与(あずか)りうる限りのものすべてに与れるのである。唯一の要件は受け容れる能力である。

1-49 〔そうすれば〕あなたたちのエネルギーは更新され、もともと時間、空間なるものを知らず、常在かつ久遠にして時間、空間を何ら要因としない処のものより来たる平安と静謐(せいひつ)とを以(もっ)て、あなたたちは、今後迎えるべき体験の大道を更に拡大するであろう。

1-50 霊的なるものの中に生きることは実在の中に生きることである、それも衝動的にでなく、又、〔自己限定もせず、他より〕限定もされずに〔生きること〕である。無限の中にどうして時間や空間のある筈があろう。神のましまさぬ処といってはないのであるから、あらゆる空間をみたしている神の心の中にあなたたちは生きていることを知るがよい。

1-51 あなたたち自身が久遠に実存し常在する神の分霊(キリスト)、すなわち神の心の裡(うち)なる、生かしかつ創造する力であることを真に知るならば、時間や空間などある筈がないのである。

1-52 あなたたちは時間も空間もない状態に到達し、自分の魂の中に宿り給うあなたたちの主なる神の完全さの中に入ることができるのである。主こそ、およそ実存する唯一の力である。I am(神我)(*4)は主the Lord である。

1-53 『愛』は久遠、常在にして、栄光輝ける、今活在する生命である。それは安らぎであり悦びである。愛が常在するところの、しかも今の今活気臨々たる生命であることを知れば完きまでに満ち足り、もはや後方を顧み未来を案ずる愚は犯さなくなる。

このことを了解した魂は、過去に非ず、未来に非ず、現在の中にこそ常に活々として働き給う遍在者の欠くることなき豊饒の中で営為する。

1-54 そのことに深く思いを致すがよい、そうすればあなたたちは悦びに充ち溢れるであろう。神我は常在の愛である。わたしがまことに明瞭(あきら)かに見たのがこの愛であった。わたしは神が愛であることを直接に知った。神の子であるためにはわたしも又『愛』でなければならないのである。

わたしにとって、もはや愛の他には何ものもないことを悟り、どのような仕打ちをわたしが受けたにせよ、わたしは神の子、すなわち、過去を知らず未来を知らず、罪も死も知らぬ、久遠常在完全なる愛であり続けねばならぬことをわたしは知ったのである。

1-55 「ラザロよ出で来れ」〔ヨハネ伝十一章四三節〕という言葉は、生命のみが常在するを知るが故に神霊の界層より発せられたものであった。あなたたちがこれらの言葉を把握することができれば、久遠常在の生命が把握されるであろう。

あなたたちの意識がその真理なることを把握できるならば、あなたたちもまたこの言葉を発することができるようになり、あなたたちの発する言葉はそのまま実現するであろうと、何故ならばそれは『今』の中で創造されたからである。

1-56 あなたたちは外部からくる色々な意見によって影響され、周囲の状態によって暗示をかけられている。あなたたちは死や朽廃(きゅうはい)を信じている。しかし実在には死も朽廃もなく変化があるだけである。それが生命である。
一切の変化の背後にこの常在の生命を見、かつそれを明確に自覚するならば、あなたたちの全身体の全分子がそれで満たされるようになる。

1-57 神我が主である、『わたし』は変わらぬ。目を見開いて自分の中にこの大いなる真理を見るがよい。

1-58 〔神を〕顕現する心構えができた分だけあなたたちは神に似つかわしくなったのである。人類の胸(ハート)の中にある神の子即ちキリストが人々に手を差し伸べ、早く人間自身の神性意識に目覚めよと促している。なぜならば各人一切の中に神我は在って永遠に生きているからである。この真理に気付いたとき胸(ハート)は永遠に平安である。

1-59 『わたしは主なる汝の神である。わたしは父と一体であり、父とわたしとは決して離れることなく、わたしたちは常にあなたたちの中にあって共に働いている』。


本日もお読みいただきありがとうございました。
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【"心身の神癒 主、再び語り給う" を買います】
この本をはじめて知り、アマゾンで在庫がありましたので買います。
引き続きのブログ楽しみにしています。
【Re: "心身の神癒 主、再び語り給う" を買います】
> この本をはじめて知り、アマゾンで在庫がありましたので買います。
> 引き続きのブログ楽しみにしています。

まるまるまるた様
ご訪問とコメントに感謝申し上げます。
私にとって、この本は人生最高の本の一つです。
最初はわからないことが多くありましたが(今もあります)
繰り返して読むうちに
安らぎと愛が自然と育っていきました。
この本は、忍耐強く何度でも繰り返し読まれることをご推奨申し上げます。
必ず本当の心の糧となり、人生の荒波を乗り越えることが可能になると思います。
ありがとうございました。
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きいたかぽん

Author:きいたかぽん
FC2ブログへようこそ!

某国立大電気工学科卒
制御装置、コンピュータ関連装置の開発経験を経て
独立

自身の ”がん”の手術直前に ”がん”が消えていた体験から
死と直面し、
死ぬときに残るのは”愛”だけと気づき、新しい生き方を探すようになる。

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