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皆様、ご無沙汰しています。この更新までの間、ご訪問頂きました皆様に、お詫び申し上げます。
さて、すっかり秋らしくなりました。皆様、お変わりはありませんか。

日頃 パラパラとめくっている本の一冊に、
今の私に響く言葉がありましたので
ご紹介させていただきます。


中村天風に学ぶ  総合法令出版㈱ 松本幸夫著書 より抜粋


仏教でいう無財の七施も、無形のギブに他ならない
1.捨身施------自分の身一つでも、奉仕、貢献は可能である。
2.心慮施------他人への思いやりの心。
3.和顔施------和やかな笑顔は、元手のかからないプレゼントになる。
4.慈眼施------目は口ほどに物をいう。優しい目差しも重要。
5.愛語施------積極的な言葉を相手にかけたい。
6.戻舎施------雨の日に雨宿りさせたり、かさをさしかけるような、いたわりの心。
7。床坐施------自分の座を譲るだけの心の広さ、親切。


 無財の七施は とても素晴らしい教えで、今、すぐに、何の物質的な準備もなくできます。
(下名は日々の生活のチェックリストの一つにしたいと思っています。)

心にいつも愛が溢れている方々は、無意識のうちに無財の七施を施されていらっしゃるのですが、わたくしの場合は、いつもというわけにはいきません。

 神の愛に心が温かく包まれあふれる恩寵の期間はとてもありがたいのですが、下名の場合はいつもいつもその恩寵を感じるというわけではありません。
 また、「われは生命なり」「われは愛なり」という言葉が実際のわたくしの生活のある瞬間に虚しく響くように感じてしまうときもありますが、
そうゆうときは、下名がどう思おうと、事実は事実、真実は真実、今、そう思えなくても真理は嬉々として、活き活きと創造しているのだ・・。と思うことにしています。例えば、身長が低い子供の頃は、高い鉄棒に手もとどきません、時々大人が抱っこして届くようにしてくれ、鉄棒にぶら下がる感じを教えてくれることがありますが、
いつもいつもという訳にはいきません。しかし、今、鉄棒に手が届かなくとも、体の内側では大人になるための成長は気づかないうちに進んでいるのですから。
いま、大人でなくとも、子供がそのうち鉄棒に手が届くことは確かですから。

本日も、最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。

平安と愛と善意のご挨拶をさせていただきます。
ありがとうございました。
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きいたかぽん

Author:きいたかぽん
FC2ブログへようこそ!

某国立大電気工学科卒
制御装置、コンピュータ関連装置の開発経験を経て
独立

自身の ”がん”の手術直前に ”がん”が消えていた体験から
死と直面し、
死ぬときに残るのは”愛”だけと気づき、新しい生き方を探すようになる。

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