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皆様、遅くなりましたが、
明けましておめでとうございます。

だらだらと続けていたプログラム開発が一段落しました。
また、FaceBookに気を取られて、このブログの更新がなおざりになりました。

ご訪問いただいた方々に、お詫びと、感謝を申し上げます。


去年の個人的なテーマであり、
愛の大きなテーマ 赦し

『そのとき、ペテロがみもとに来ていった。

「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。7度まででしょうか。」

イエスは言われた。

「7度まで、などとはわたしは言いません。7度を70倍するまでといいます。」新約聖書 マタイの福音書18:21~22』

7度を70倍を
永久に赦す という意味に捉えてみると、
「赦します」「赦します」「赦します」「赦します」・・・・・・・「赦します」
最後には、赦すとか、赦さないとか そんなことにこだわれない ということになる。

聖書の放蕩息子の喩え・・・
放蕩息子が、悔い改めて、本来の自分を取り戻した
という意味で赦しという言葉が使われています。
父が赦すとか、赦さないとかの次元ではなく、
いつも愛で包んでいただいている、ということではないかと思っています。



(以下、心身の神癒より)

2-95 放蕩息子の寓話の中に父の愛が示されている。息子の放逸、その悔俊、自己自身即ち真の霊的状態の恢復(かいふく)。先ずもろもろの艱難辛苦(かんなんしんく)をなめ、せっかく承け継いだ財産も蕩尽(とうじん)し、やがて自ら進んで一僕(いちしもべ)となるために帰還するがやがて本来の息子となる。

2-96 息子がたとえどのようなことをしたにしても、父の愛は一切の誤ちを消してしまう。父の愛はそれほどに大きいのである。この事がどんなに正しいかはあらゆる生活の中で証されている。真理に気付いたとき誤ちは矯(ただ)される。それはひとつの体験であり、この体験を通じてあなたたちは種々様々の状態より起ちあがって自分自身〔真我〕を語ることができる。そのとき誤ちは消えて無くなり、真理が太初(はじめ)以来の真理そのままの相(すがた)を現す。

2-97 悔い改めが赦しに先行する。父の愛が解ったとき始めて心底(ハート)より悔い改めが起こり、その時彼は真に赦されたのである。かくて彼は彼本来の霊的状態、即ち自分自身が神の中にあるという自覚、を取り戻し、喜んですべての人々の僕となり、自分が他の人よりして貰いたい通りのことを人々にするようになる。

あなたたちが放蕩息子のようになって始めて御馳走はあなたたちの前に並べられるのである。では家の中に入り、兄弟姉妹への愛をもって今こそ御馳走に与(あずか)るがよい。愛によってのみあなたたちは父があなたたちの為に準備し給うた御馳走を戴くことができる。

98 このことも又、あなたたちがこの地上で学び取らなければならないことなのである。これまであなたたちは、自分の尺度で悪いことをしたと決め込んだ人々に対して愛を出し控えたことがどんなに度々あったことか。そのような断定はあなたたちの関知することではさらさらないのである。それはすべて父なる神とその子との間のことがらである。このことをよくよく銘記するならば、あなたたちは他を批判することがなくなり、批判という武器はむしろまず第一に自分自身に対して向けるようになるであろう。

2-99 真っ先に自分自身の誤ちに気が付けば他の人々を前より一層よく理解するようになる。

100 あなたたちはこれまでとかく人々を批難しがちであった。自分が批難されないためには、人を批難せぬことである。先ず己が目(まなこ)より梁(うつばり)を取り去るがよい。そうすれば同胞の目の棘(とげ)の取り方も前より一層解るようになるであろう。



まず始めに愛したのは父であった。
父は、喩え、誰からも愛されなくなった人でも、いつも暖かい愛で包んでいらっしゃる。
だから、何も恐れる必要はない。

最後までお読み頂きありがとうございました。
平安と愛と善意 のご挨拶を送らせていただきます。





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【】
ご無沙汰で、すみません。

昔聞いた話ですが、
マグダナのマリアが、皆から石を投げられ責められていた時、
イエスが「一度も罪を犯していないものが居たら出てきなさい」と言ったら、
皆黙ってしまった、の話。

許さないと言うのは、自分の中にも、硬いとりでを作ってしまいますね。
許す事で解放され、自分の心も許される。
そのような体験をいくつかしています。

神様の大いなる愛は、無制限の愛であり、許しですね。
いつまでも、何処までも見守って下さっています。
先ずは、自分自身の未熟さや、こだわりを省みて、
真実の愛を感じて、信じて、生きたいです。
ありがとうございます。
【Re: タイトルなし】
コメント、嬉しく読ませていただきました。こちらこそご無沙汰しております。今回も身にしみる爽やかなコメントをありがとうございました。というのも、私が病気で死を覚悟しなければならないと思った昔のころの話ですが、自分の誕生からそれまでの自分と向き合い、お世話になった方々への感謝や、自分自身の中にある傲慢さや怒りなどなどを見つめた時期があり、その時、およそ怒りとか傲慢さとか赦せない思いとかは、非常に苦痛を伴う思いであることを感じ、いつまでもそのような感情に執着していても苦しいだけということで、それらを放棄したことがあります。確かに硬い砦--重い重い心のようなものでした。同感です。そして、いつも温かい神の愛は久遠で、ありがたいこと・感謝です。物質的・精神的を含め何か自分が持っているものを奪われたという思いや傷つけれれたという思いが赦せないという感情になります。しかし、本当に奪われ、傷つけれれたのか今そうゆうことを考えています。別件ですが、マコ様の素晴らしいブログは、世のひとつの光です。私はコメントはほとんどしませんが、また、読ませていただくことを楽しみにしています。ありがとうございました。
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きいたかぽん

Author:きいたかぽん
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某国立大電気工学科卒
制御装置、コンピュータ関連装置の開発経験を経て
独立

自身の ”がん”の手術直前に ”がん”が消えていた体験から
死と直面し、
死ぬときに残るのは”愛”だけと気づき、新しい生き方を探すようになる。

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